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【特別インタビュー】「ニット糸偉人伝」第一回 堀部幸嗣氏
・インタビュアー(Q):滝宏明
・堀部幸嗣氏(A):元滝善開発部及び営業部リーダー
Q: 本日は「ニット糸偉人伝」の第一回として、滝善の開発部、営業部で長年ご活躍された堀部さんにお話を伺います。堀部さんは、私にとっても、初めて開発部に配属された時の直属の上司にあたる方で、非常に印象深い存在です。本日はよろしくお願いいたします
堀部: こちらこそ、このような機会をいただき光栄です。どうぞよろしくお願いいたします。
**「入社の経緯」
Q: まずは、堀部さんが滝善に入社された時期からお聞かせいただけますでしょうか?
堀部: はい。私が滝善に入社したのは、昭和57年、1982年の3月のことでした。かれこれずいぶん昔になりますね(笑)。
Q: ちょうどバブル経済へ向かう、活気のある時代ですね。ところで、堀部さんのご両親は、お父様が旅行代理店、お母様が美容師と伺っております。繊維業界とは少し縁遠いご家庭で育たれた堀部さんが、滝善、ひいては繊維業界へと進まれたきっかけは何だったのでしょうか?
堀部: そうなんです。実家は全く繊維とは関係のない環境でした。それが滝善に入社を決めた一番のきっかけは、大学にリクルートが来ていたことと、その時に「海外へ行ける」という話があったからなんです。当時、海外は憧れでしたからね。それが決め手となり、「面白そうだ」と思って入社を決めました。
Q: なるほど、海外への魅力を感じて、という意外なきっかけだったのですね!他にも何か就職の選択肢はあったのでしょうか?
堀部: ええ、実は愛知県警の試験にも合格していたんですよ。
Q: 愛知県警ですか!それはまた全く異なる分野ですね。最終的にはそちらには進まれなかったのですね?
堀部: そうですね。最終的には断念しました。というのも…自分で言うのもなんですが、。警察官という立場が本当に務まるのか、少々不安になりましてね(笑)。それで、やはり滝善を選んだという経緯です。

**「修行時代」から「過酷なフィリピン赴任」**へ
Q:情熱を持って滝善に入社された堀部さんですが、最初の配属先はどちらだったのですか?
堀部: 最初の一年間は、一宮市の本社にある開発部でした。実は当時、本社に撚糸機(ねんしき)がありまして。そこで毎日、毎日、見本の作成に明け暮れていました。
Q:現場でどっぷりと技術を叩き込まれたわけですね。
堀部: ええ。あの時期にひたすら機械と向き合い、撚糸の基礎を身体で覚えたことが、後の大きな財産になりました。でも、やはり心の中では「早く海外へ」という思いがずっと燻っていました。
Q:そして2年目、ついに念願が叶います。赴任先はフィリピンでしたね。
堀部: そうです。「いよいよだ!」と意気揚々と現地に乗り込みました。……ところが、待っていたのは想像を絶する現実でした。
Q:理想と現実は違いましたか?
堀部: 違ったどころではありません(笑)。工場へ行ってみたら、機械のほとんどが故障して動かない。まともに稼働できるような状態じゃなかったんです。海外の華やかなビジネスを想像していたら、いきなり「動かない機械」を前に途方に暮れることになりました。
Q:それは過酷ですね。言葉も文化も違う土地で、どう立ち向かったのでしょう。
堀部: 最終的には日本人は私一人。現地の人たちと協力し合うしかなかった。大変な環境ではありましたが、一つひとつ機械を直し、体制を整え、なんとか工場を整備していきました。
Q:まさに「冒険」であり、孤独な闘いでもあったのですね。
堀部: 泥臭い毎日でしたが、やり遂げて無事に親会社へ引き渡し、帰国することができました。あのフィリピンでの経験が、私の根性を鍛え上げてくれたのは間違いありません。
Q:フィリピンでの任務を終え、昭和60年(1985年)に帰国されました。その後はどのようなお仕事を?
堀部: 帰国後は「貿易部」に配属され、そこで4年間勤務しました。フィリピンでの泥臭い現場仕事からは一転して、今度は世界を相手にしたダイナミックな商売の世界です。
Q:昭和60年といえば、まさに日本が世界市場で存在感を示していた時代ですね。当時はどのような形態でビジネスをされていたのでしょうか。
堀部: 当時は商社や糸商(いとしょう)さんへの販売がメインでした。主な舞台は香港です。頻繁に出張で行っていましたね。
Q:当時の香港は、世界の繊維・アパレルの集積地でしたよね。
堀部: ええ、ものすごい活気でしたよ。私たちは、欧米の巨大な量販店向けに、毛混の「タム糸」などを輸出していました。これがまた、驚くような大きな数量で動くんです。
Q:「大きな数量」……今の時代とはまた規模感が違いそうですね。
堀部: そうですね。大きな単位で次々と商品が世界へ流れていく。自分たちが手掛けた糸が、欧米の街角に並ぶ服になっていくわけですから、手応えも十分でした。フィリピンで「モノづくりの土台」を叩き込まれたからこそ、輸出という「出口」の仕事の重要性も、肌で感じることができたんだと思います。

**「尾州・独立独歩編」
Q:昭和から平成へ時代が移り変わる平成元年。堀部さんは大きな転機を迎えられます。
堀部: はい。この年から地元・尾州(一宮市周辺)の営業担当になりました。ただ、これが今までとは全く勝手が違ったんです。
Q:同じ繊維の世界とはいえ、尾州は独特な産地だと聞きます。
堀部: そうなんです。尾州は織物、丸編み(カットソーなど)がメインで、横編みが主流だった滝善の「レギュラー品(定番品)」がそのままでは通用しませんでした。用途に特化した糸が求められていたんです。
Q:会社にあるものを売るのではなく、自分で「売れるもの」を作らなければならなかったのですね。
堀部: まさにそうです。当時は「個人商店」のような動き方でしたね。自分で糸の設計をし、原料を確保し、加工場のキャパシティを自ら交渉して押さえる。さらには在庫も自分で抱えて販売するというスタイルです。
Q:在庫を抱えるというのは、営業担当としては相当なプレッシャーだったのでは?
堀部: ええ。1品番で40トンもの在庫を抱えることもありました。今では考えられない数字ですが、当時はそれが「飛ぶように売れる」時代だったんです。
Q:40トンの在庫が次々と捌けていく……凄まじい勢いですね。
堀部: 毎日が真剣勝負でしたが、原料から加工、在庫管理まで全てを自分でコントロールする経験は、フィリピンや輸出部時代とはまた違う「商売の本質」を教えてくれました。自分でリスクを取って、納得のいく糸を市場に送り出す。あの頃の尾州営業が、後の私のビジネススタイルの骨格を作ったと言ってもいいかもしれません。
**「開発部編」~逆境の中で研ぎ澄まされた「素材感」への執念
Q:1998年、4代目社長の急逝の翌年、開発部へ異動されました。当時、会社を取り巻く環境は非常に厳しかったと伺っています。
堀部: はい。急激に環境が悪化し、まさに正念場でした。しかし、「立ち止まっていても何も始まらない、とにかく動くしかない」という思いで、死に物狂いで試作を繰り返す毎日。当時は自分の思った通りに形にできる環境がありましたから、苦しみながらも、ものづくりそのものは本当に楽しかったんです。
Q:そんな極限状態の試作から生まれたのが、現在も滝善の看板素材である『サーブルストレッチ』ですね。
堀部: そうです。今の滝善の顔とも言える素材ですが、完成までの道のりは平坦ではありませんでした。納得がいくまで本当に苦労を重ねました。
Q:開発において、堀部さんが最も大切にされていたことは何でしょうか。
堀部: 品質管理に細心の注意を払うのは当然のことですが、それ以上に私が重きを置いたのは「素材感」です。数値やデータだけでは測れない、手に取った時の驚きや、身に纏った時の心地よさ。その「感性」の部分を形にするために、一切の妥協を排して開発に没頭しました。あの7年間の試行錯誤がなければ、今のサーブルストレッチは存在していなかったかもしれません。

**「東京営業編」~顧客1件からの逆転劇と、展示会を埋め尽くした素材
Q:2005年、次なる舞台は東京。ここから16年に及ぶ東京販売での戦いが始まります。当時の滝善東京は、今とは随分状況が違ったそうですね。
堀部: ええ。当時の滝善東京はまだ、アパレルメーカーと直接ビジネスをする「アパレルワーク」の土壌が全くできていませんでした。私が着任した時、直接お取引のあったお客様は、なんとたったの「1件」だけ。そこからのスタートだったんです。
Q:たったの1件……。そこからどうやって販路を切り開いていったのでしょうか。
堀部: 本当に苦労しました。でも、私はお客様と一緒に「納得のいく糸」を作り上げるプロセスが好きだったんです。それは大変な作業ですが、同時に一番楽しいことでもありました。
Q:その「共創」の姿勢が、大きな成果に繋がったエピソードがあるとか。
堀部: 例えば『レーヨンストレッチ』の開発です。お客様が求める理想を形にするため、何度も、何度も、納得がいくまで試行錯誤を繰り返しました。そしてついに、ある百貨店ブランドで非常に大きなオーダーを勝ち取ることができたんです。
Q:その時の光景は、今でも鮮明に覚えていらっしゃいますか?
堀部: 忘れもしません。そのブランドの展示会へ足を運ぶと、会場が心血を注いで作ったその素材一色に染まっていたんです。あの瞬間の震えるような喜びは、今も私の原動力になっています。

**「次世代へのメッセージ」~コツコツと、相手を想う
Q:最後に、今の若い世代へ伝えたいことはありますか?
堀部: 今の時代、皆さんも大変なことが多いと思います。でも、仕事である以上、まずはコツコツと進めるしかありません。たとえ意見の対立があっても、相手の気持ちを考えて行動すれば、必ず良い結果に繋がります。
Q:誠実さが最後には道を拓くのですね。ちなみに、そんな堀部さんの今のリフレッシュ方法は?
堀部: 休日に愛犬のトイプードルと散歩することですね。それが一番の癒やしです(笑)。